農業用ビニールハウス(パイプハウス)の専門店モリシタの森下幸蔵です。
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第2章 野菜がまずくなっている?
旬はなぜ消えたのか
野菜の味を決める主な要因は栽培方法ではなく、栽培時期、品種、鮮度の三要素であると前章で述べました。「目利きが教えるおいしい野菜の見分け方」の類を目にすることがありますが、そもそもこの三つが満たされていない物をどう見分けても大差ない、と僕は思います。
〈中略〉
ます、栽培の時期です。スーパーに行けば季節を問わず、いろいろな種類の野菜が並んでいます。実際に消費者は、野菜の“旬”を意識することは少ないのではないでしょうか。
これは栽培技術・輸送技術・品種改良などが進んで野菜の周年栽培が可能になった1980年代以降の話です。現在は、様々な栽培方法で全国の産地から冷蔵輸送ができますので、店頭の品揃えは1年を通して安定しています。
〈中略〉
皆が栄養のバランスを気にする時代なので、緑黄色野菜には年間を通じてニーズがあります。売り場はそれに応じていつでもモノがあるようにするのが仕事ですが、結果として1年を通じた味の平均点は下がっているのが現状です。年配の方が「昔のほうれん草は美味しかった」とおっしゃるのは当たり前なのです。昔は旬のおいしい時期にしか出回らなかったのですから。
旬の野菜は一気に大量に流通するため価格が暴落しがちです。生産者としては、設備や資材を使って多少無理な作り方をしてでも、出荷量の少ない時期に生産をするようが収入の安定につながるのです。ある意味、いかに旬を外してつくるかが現代の生産者の腕の見せ所とも言えます。やや乱暴に言えば、上手な農家ほど美味しくないものをつくっている、という構造です。
欲しいものが欲しいときに手に入るようになった利便性の対価として、年間を通じた味の平均点は下がっている。これが日本の野菜の現状です。この構造の中では、旬の時期にしか栽培をしない僕の野菜が相対的に美味しいのは当たり前です。「おたくの野菜は美味しいですね」と言われると、嬉しい半面、当たり前の味が美味しいと感じられるくらい、全体が地盤沈下している事を感じて少し複雑な気持ちになります。僕がつくりたいのはそんな当たり前の「滋味のある野菜」。食べた人の体になるような、しみじみ美味しい野菜です。
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出典【キレイゴトぬきの農業論】新潮新書 久松達央著
久松農園のオフィシャルサイト http://hisamatsufarm.com/