農業用ビニールハウス(パイプハウス)の専門店モリシタの森下幸蔵です。
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第一章 有機農業三つの神話
無農薬は手段に過ぎない
「有機農業とは何か?」を調べると、必ず「農薬や化学肥料を使わない農業」という説明にたどり着きます。しかし、これは正確な記述ではありません。農薬や化学肥料を使わない、というのは生き物の仕組みを生かすための一つの手段に過ぎません。
〈中略〉
もちろん中には、「有機農産物」や「無農薬野菜」と謳いたいために有機農業をやる、とい人もいます。僕は、それを「目的としての有機農業」と呼んでいます。有機農業をいい物を作るための方法論として捉えている僕が行っているのは、「手段としての有機農業」になります。農薬や化学肥料を使わないこと自体には特に価値はないと考えているので「目的のしての有機農業」と「手段としての有機農業」の二つは、はっきりと区別されるべきだと思っています。
有機野菜は「健康」な野菜
有機野菜は安全な野菜ではなく「健康な野菜」であるべきだ、と僕は考えています。「健康な野菜」をもう少し丁寧に説明すれば、「その個体が生まれ持っている能力を最も発揮できている野菜」ということです。
〈中略〉
作物を健康に育てるためには、畑の生き物を多様に保つのが近道です。
〈中略〉
僕が農薬を使わないのは、その生き物を殺したくないからです。特に土壌消毒と呼ばれる殺菌剤は、土の微生物を根絶やしにしてしまうもので、許容できません。倫理的に許せないとか、環境保全の観点から駄目だというのではなく、力を借りるべき生き物を減らすのは栽培者自身にとって合理的ではない、というのがその理由です。実利的に考えるからこそ、農薬は使わないというのが僕の立場です。
有機でなくても「健康な野菜」はできる
『健康な野菜』は、有機農業以外の手法でも再現できます。土の生き物を大事にし、高品質の野菜をつくる農業者は、慣行農業をしている中にもたくさんいます。
〈中略〉
僕自身は有機農業の手法が有効だと考えているので、そのアプローチを選択しています。と言っても、決して100%満足している訳ではありません。純粋に「健康な野菜」をつくりたいという目的だけなら、農薬や化学肥料をゼロにすることが必ずしも合理的ではない、と思う場面はあります。ただし総合的に考えれば、大きくは間違っていないと思っていますし、結果も出ているので概ね納得はしています。
有機農業の「選抜機能」
もう一つ、有機農業特有の特徴があります。僕が「命の選別システム」と呼んでいるものです。
〈中略〉
よくある誤解に「虫が喰っているくらいの野菜のほうが健全で美味しい」というのがあります。しかし、そんなことはありません。畑では弱い個体から病害虫にやられます。
〈中略〉
もし、僕が農薬をつかっていたらどうなったでしょう?殺虫剤で虫を防除することで虫食い問症状は逃れたでしょう。そうなれば、実際には弱い株なのに、何とかブロッコリーの形になって、出荷されたかもしれません。つまり農薬を使うと、淘汰されるべき弱い株も生き残ってしまいます。その結果、本当に健康に育った野菜と、そうでない野菜の区別がつかなくなってしまうのです。逆に言えば、農薬を使わないことで、野菜たちをふるいにかけ、健康でない野菜が生き残ってしまうことを防げるのです。
〈中略〉
あえて厳しい環境に晒すことで健康でないものを淘汰させ、「健康な野菜」だけを選別する。これが有機農業の選抜機能です。
〈中略〉
もちろん栽培者としては、全部が健康に育ったほうがいいに決まっています。僕たちは芸術作品を作っているわけではのいので、いくら淘汰システムが有効だといっても、100個に1個しかまともなブロッコリーができなければ農業者としては技術的に失格ですし、そもそも食べていけません。しかし、現実に栽培はうまく行かない事も多々あります。天候もありますし、人為的なミスもつきまといます。そんな場合に有機農業だと、健康に育たない作物は生き延びることができません。環境が厳しいので、野菜が健康に育っているかどうかが見えやすいのです。僕が、自分の野菜を美味しいと胸を張って言えるのは、健康なもの以外は廃棄しているという事情もあるのです。
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出典【キレイゴトぬきの農業論】新潮新書 久松達央著
久松農園のオフィシャルサイト http://hisamatsufarm.com/